ランキング上位企業の歴史・評価・評判・口コミ


【1位】LVMH

LV(ルイ・ヴィトン)+MH(モエ・ヘネシー)

LVMH の「LV」はルイ・ヴィトン、「MH」はモエ・ヘネシーの略である。 ルイ・ヴィトン、クリスチャン・ディオール、セリーヌ、ジバンシーなど、世界的に知られるフランスの高級ブランドを多数抱える世界最大のラグジュアリー企業グループである。

起源と拡大

LVMH の中核を築いたのは、フランスで不動産会社を経営していた実業家ベルナール・アルノー氏の「ブランド買収戦略」だった。 1985年にクリスチャン・ディオールの親会社を買収したことを足がかりに、巨大コングロマリットの形成が始まった。 その後、1987年にルイ・ヴィトンとモエ・ヘネシー(シャンパンのモエ・エ・シャンドン、コニャックのヘネシーを擁する洋酒メーカー)が合併し、現在の LVMH が誕生した。

歴史

LVMH 誕生の起点は 1985 年、アルノー氏がクリスチャン・ディオールの親会社を買収したことだった。 この買収によってフランスの高級ブランド市場における影響力を強め、のちの巨大グループの土台が築かれた。

相次ぐブランド買収

続く 1986 年にはセリーヌを、1987 年にはクリスチャン・ラクロワを買収。 さらに 1989 年にはモエ・ヘネシー、ルイ・ヴィトン、ジバンシーなどを傘下に収めた。 その後も、ケンゾー・パリ、香水ブランドのゲラン、宝飾のフレッド、スペイン発のロエベなどを次々に取り込み、LVMH は世界最大規模の高級ブランド・コンツェルンへと拡大した。

買収・合併によるシナジー

LVMH グループの強みは、買収によってブランドを集めるだけでなく、参加したブランドの再生力を引き出す点にある。 老舗ブランドでも時代の流れに取り残されかけていた企業が、グループの戦略や投資によって再び競争力を取り戻した例も多い。

統合戦略

広告・流通・マーケティング戦略はグループ全体で統合され、ブランド単体では難しい規模のプロモーションが可能になった。 これにより、ブランドごとの個性を保ちながらも、全体として強固なシナジーを生む体制が整えられた。

アルノー総帥の采配

アルノー氏はデザイナーの起用においても大胆な決断を下してきた。 代表例として、クリスチャン・ディオールにイタリア人デザイナー、ジャンフランコ・フェレ氏を抜擢したことが挙げられる。 フランスの伝統ブランドに外国人デザイナーを起用するという発想は当時としては革新的であり、内部からは出にくい決断だった。

ブランド復活の事例

この英断によって沈滞していたディオールは息を吹き返し、ダイアナ妃も愛用した「レディ・バッグ(後の“レディ・ディオール”)」の大ヒットにつながった。 アルノー氏の強いトップダウン型の戦略が、今日の LVMH の圧倒的ブランド力を支えているといえる。

【2位】エルメス(Hermès)

パリ・モード界の老舗中の老舗。

創業者ティエリ・エルメス

エルメスの創業は1837年。ブルボン家の王政復古の時代である。 創業者はティエリ・エルメス氏。パリの「ランパール通り」に高級な馬具を製作する工房を開いた。

職人としての成長

ティエリ・エルメス氏は1801年に生まれ、13歳でハーネス(引き具)製作の馬具屋に見習いとして入った。 当時は馬車輸送が盛んで、腕の良い馬具職人は有望な職であった。 のちにポントードメールへ移り、鞍作りやなめし革などの技術を磨いた。 この町にはイギリスの職人が頻繁に訪れ、進んだ技術に触れる好機でもあった。

馬具工房の繁栄

ティエリ・エルメス氏の工房は繁盛し、ナポレオン3世の御用達となった。 当時、王侯貴族に加え、ブルジョア階級が台頭し、馬車は大きなステータスシンボルだった。

事業拡大と万博での評価

品質に徹底したティエリ・エルメス氏は、 1867年の第2回パリ万博に鞍を初出品し、銀メダルを獲得した。 息子エミール・シャルル氏は、これを機に製造・卸・小売まで一貫する鞍屋への転換を進言したが、父は応じなかったという。

2代目エミール・シャルルの戦略

1880年、2代目エミール・シャルルは、後に本店となるフォーブル・サントノーレ24番地に鞍屋を開業し、自ら鞍の製造を始めた。 1878年の第3回パリ万博でグランプリを受賞していたことも追い風となった。

ベル・エポックの発展

フォーブル・サントノーレは外交・文化の中心地。 エルメスは1階に店舗、2階に工房、3階に住居という構成で活動を広げた。 「ムーランルージュ」誕生、エッフェル塔建設など華やかなベル・エポック期に、事業はさらに拡大した。

王侯貴族への浸透

長男アドルフは優秀な職人、二男エミール・モーリスは商才に優れ、ブランドは急成長。 独自の革加工とステッチによる馬具は、ヨーロッパ中の王侯貴族が愛用する存在となった。 1900年にはロシア皇帝ニコライ2世から王室御用商人の任命を受けた。

自動車時代への転換

1902年、兄弟が事業を継承。 しかし翌1903年、アメリカで自動車の大量生産が始まり、馬具産業は急速に縮小し始めた。

新製品へのシフト

エミール・モーリスは時代の変化に対応し、婦人用財布、旅行かばんなど馬具以外の商品を製造し始めた。 しかし時代はさらに変化し、1914年には第1次世界大戦が勃発。 カナダ派遣中のエミール・モーリスは、ここで後のエルメスに通じる発想を得る。

3代目エミール・モーリス:女性の時代へ

20世紀に入り、パリでは馬車から自動車へ移行。 この転換期に3代目エミール・モーリスが注目したのは「女性のライフスタイルの変化」だった。

女性の意識改革とファッション

第1次世界大戦後、女性は後方部隊で活動し、国内では男性の仕事を引き継いだことで社会進出が加速。 スカート丈は短くなり、活動的なギャルソンヌ・ルックが流行。 女性はより機能的な素材を求め、エルメスは鞍職人の技術を生かしてバッグ・ベルト・ブレスレットを作り始めた。

ファスナーの導入

1920年代初期、バッグに初めて「ファスナー」を使用し話題となった。 ファスナーは1891年アメリカ発明で、エミール・モーリスは戦時中にカナダで入手し、特許も買い取った。 「エルメスファスナー」と呼ばれるほど画期的な導入だった。

ファスナーはバッグだけでなくウエアにも普及。 英国皇太子が最初のファスナー付きレザージャケットを注文したことでも知られる。 またココ・シャネルがスカートにファスナーを付けたのが、スカートにファスナーが導入された最初の事例となった。

基盤づくりと多角化

1920年代にエミール・モーリスはエルメスの基礎を固め、 1930年代には二女の夫ロベール・デュマ、四女の夫ジャン・ゲランとともに、バッグ、衣服、旅行用品、時計、宝飾品などへ事業を拡大。 海外輸出も伸びていった。

代表アイテムの誕生

1930年代に現在の「ケリーバッグ」の原型「サック・ア・クロア」や、スカーフ、香水事業が誕生した。

4代目ロベール・デュマの時代

第2次世界大戦後、1951年にロベール・デュマが4代目社長に就任。 スカーフ部門を強化し、ジャン・ゲランは香水に注力。 1961年には香水「カレーシュ」が完成し、1966年にはプレタポルテへ進出した。

5代目ジャン・ルイ・デュマの時代

1978年、ジャン・ルイ・デュマが5代目社長に就任。 食器などのテーブルウエアに進出し、クリスタルのサン・ルイ社、銀製品のピュイフォルカ社、靴のジョン・ロブ社を吸収合併した。

職人精神の継承

これらの買収は事業拡大だけでなく伝統技術を守るためでもあった。 またエルメスはライセンス生産を行わず、「エルメスの製品はエルメス自身が作る」という創業者ティエリの精神を守り続けている。

【3位】ロレアル(L'Oréal)

世界最大の化粧品グループ。 「ランコム」「ロレアル パリ」などの人気ブランドで知られる。

創業と大株主の背景

1907年にフランスで創業。 創業以来、ベタンクール一族が大株主として長く君臨してきた。

株主構成と経営の特徴

食品関連の多国籍企業「ネスレ」も株式を保有している。 3代目経営者オーエン・ジョーンズ氏(在任1988年~2006年)は、42歳という若さで会長兼CEOに就任し、国際的な事業拡大を推し進めた。